災害を経験するたびに法律や制度が進化
末村氏は、NGO職員として、阪神・淡路大震災での支援を皮切りに、災害復興に深く従事。東日本大震災では岩手県大槌町復興局を経て、復興庁の一員として、被災者支援や産業復興、被災下の行政体制構築、人的支援事業推進を担当されました。
阪神・淡路大震災では民間の立場から、東日本大震災では行政の立場から復興に尽力されてみて、東日本大震災では、過去になかった制度運用が行われ、政府決定にもスピード感があったと末村氏はいいます。
「東日本大震災復興特別区域法という法律は、震災が発生した2011年に策定されました。例えば、未曾有の被害に対して、既存の枠組みにとらわれず、地域限定での措置を早急に行う。医療・産業・住宅分野の規制に対する特例や産業再生を支援する税金・財政・金融上の特例について複数箇所の申請を省き、ワンストップで適用するなどです。こういった新たな制度運用は復興のスピードを加速させます。阪神・淡路大震災は、復興事業完了が2020年と、発生から約25年を要しました。東日本大震災は住宅や宅地造成は2020年、道路整備は2021年と、約半分の期間で復興事業を終えています」
2つの未曾有の災害から三位一体で復興を実現
次に末村氏が話されたのは、2018年に就任された岩手県岩泉町副町長時代の取り組みです。
岩泉町は岩手県の北西部に位置し、本州最大の面積を誇る町で、その約92.1%を山林が占めます。主要産業は、林業や山地農業、酪農、漁業と観光。人口は8,344人(2022年11月1日現在)。高齢化率は約44%、一部地域は50%を超えています。
では、なぜ末村氏がこの町の副町長を務められるようになったのか。それは、2つの災害からの復旧・復興の加速化、防災・減災事業、産業振興などを図るためです。
岩泉町は東日本大震災で甚大な被害を受けました。しかし、町や人びとの努力によって、公共施設や住宅の再生、防波堤の構築などがいち早く完了。岩手県下ではもっとも早い東日本大震災からの復興宣言を間もなくに控えた2016年8月30日に台風10号が町を直撃します。
この台風10号は別名「迷走台風」とも呼ばれました。日本の南西沖を行ったり来たりして停滞。勢力を増したうえで、1951年に気象庁が統計を取り始めて以来、初めて東北地方の太平洋側に上陸したのです。
山間の町ということもあって、岩手県の土砂災害発生箇所数の8割にも上る120カ所が岩泉町で発生します。住宅は町内全棟9,588棟(住家・非住家を含む)のうち1,916棟と、5軒に1軒が被災。末村氏は「総被害額は、東北大震災の約10倍、330億円を超えました。町の一般会計予算の平均が90億円程度なので、被害の大きさを想像いただけるのではないでしょうか」と語りました。
岩泉町の台風10号直撃において、「災害の刃の無情さを改めて痛感しました」と末村氏がいうのが人的被害です。
「今回のテーマにある高齢者について、小本川に面したグループホームの入所者の方々が犠牲になられました。川岸に高齢者施設を建築するなんてとの意見もあるでしょう。岩泉町は平地が少なく、河川敷はむしろ一等地なのです。ただ、1時間に最大70.5mmという経験したことのない大雨によって河川が氾濫し、しかも夜間に発生したため、被害が拡大しました」
これを教訓に、岩泉町では、河川の氾濫防止対策はもちろんのこと、災害の予防や避難方法の強化を早急に進めました。
「まず指定避難所を8カ所から 52カ所と大幅に増設しました。避難方法については、限られた数の職員で車椅子などの高齢者を迅速に避難させるには限界があります。そこで、町内の高齢者施設は、周辺の企業や町内会などと『高齢者避難協定』を締結。万一の際は、職員も周辺の人びとも高齢者の避難誘導や支援などを行います。また、個々に行っていた避難訓練を町、企業、地域合同で実施。避難設備や避難経路などを共有するようにしました」
こういった官民連携は災害時に非常に有効です。末村氏は「行政が行う『公助』、自分たちで災害に備える『自助』、官民やご近所の枠を超えた『近共助』をつないでいくことで、防災力は強化され、万一の災害時は共に命を守ることができます」と強調します。
末村氏は、町の復旧事業においても、迅速かつ効果的に進めるには、専門的なスキルと人材による体制が不可欠として企業等と連携。さらに、再建工事の進捗状況などを地域住民にも開示し、遅れや問題などの情報提供を求めました。計画立案・執行管理は勿論行政で行いますが、各箇所の進捗に町民皆様にも関心を持って頂くことで、岩泉町の復興の円滑化を図るという、官民連携の取り組みです。