杉田定一関係文書目録

「杉田定一関係文書」とは

「杉田定一関係文書」の中核をなすのは、杉田仙十郎・定一父子に関係する一万点余におよぶ文書群である。
仙十郎は、幕末維新期に大庄屋・郷長・県会議員などを歴任し、地域のために尽した村落指導者として知られる人物である。
また、定一は、自由民権運動の活動家として広く知られている。
そして、彼は、第1回衆議院議員選挙に当選したあと、第4回を除いて、明治の終わりまで連続当選を続け、この間、衆議院議長や政友会幹事長を歴任し、昭和4年(1929)に死去した。
本文書のなによりの特色は、収録されている史料の年代が幅広いということである。
治郎兵衛・仙十郎・定一三代にまたがる史料を中心に、江戸期から昭和初年に及ぶ史料が網羅されている。
なかでも中心をなすのは、杉田定一に関連する史料である。
なお、杉田家御当主の意向もあって、本文書の全てを公開することは現時点ではなされない。
この点、御了承を御願いしたい。
それはおき、本文書には、杉田家の家産・家計・相続・家族関係・冠婚葬祭がどのようなものであったかなどが具体的に判る史料が多数ある。
それ故、本文書を活用すれば、江戸・明治・大正・昭和の四代にわたって、地方の有力な素封家の一族がどのように変貌を遂げていったのかなどを詳細に知りうる可能性がある。
研究者各位の新たな視点にたつ成果の登場を願う。

凡例

・本目録は漢籍以外の「杉田定一関係文書」10,302件を収めたものです。
・本文書群は1957年に『杉田文庫目録』として発行され、1980~1983年にはマイクロ撮影が行われましたが、その過程で離れてしまったものや性格が異なると判断できる史料については、今回の調査で配列を改め新たに整理番号を付与しています。
よってマイクロ撮影番号と本目録番号は対応していません。
なお、封筒・袋・こより・包紙などによる一括史料は枝番によって階層を示しています。
・時代区分については明治の改元で近世と近代を分け、判別できない史料については年未詳としています。
・原則として、各分類は年次順を採用したが、さらに項目を設定しているものもあります。
・地名・人名などの固有名詞や常用漢字にないもの、英・仏・独・露・チェコ語による海外文献及び江・并・ニ而の文字については原史料の表記を採用しています。ただし、合字や異体字は現代かなづかいに直しています。
・デジタル表記できない文字は、●で示しています。
・繰り返し符号については、々・ゝ・ヽを用いてします。
・適宜、句読点と並列点を付与し、読みやすいようにしました。
・印章は、公印・私印ともに(印)で記しています。
・差出・宛名、干支の欄で、史料に記載がない場合はすべて-で表記しています。
・虫損・切抜は□・[]で、推測できる場合は(カ)で補っています。
・原則として史料の表題を採用したが、ないものについては作成の上〔〕で表記し、内容を()で補足しています。その際、史料から引用した語句については、「 」で示しています。人名表記の間違いもそのまま採用し、(ママ)と付けています。
・差出、宛名が多数の場合は4名までを表記し、残りは他○名と省略しています。綴など、複数の史料から差出、宛名を採用した場合は( )であらわしています。住所の番地や敬称などは省略しています。
・年月日の元年は「01」と直し、晦日については晦と表記しています。なお、記載がないものでも他の史料から補える場合は( )で示しています。同一年月日のある配列については、原史料に記載のあるものを優先し、次に( )で補ったものを並べています。海外視察関係の史料で西暦のみの場合はすべて和暦に変換しています。

杉田定一関係文書

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