~プロフィール~
1969年、滋賀県近江八幡市生まれ。
1990年、株式会社たねや入社。
1994年、第22回全国菓子大博覧会にて最高賞 「名誉総裁工藝文化賞」を24歳最年少受賞。
2011年、たねや四代目承継、 株式会社たねや代表取締役社長、株式会社クラブハリエ会長。
2013年、たねやグループCEO就任。
洋菓子店での不人気商品「バームクーヘン」が日本中で愛されるようになった理由
たねやグループは、和菓子の「たねや」と洋菓子の「クラブハリエ」を展開する、言わずと知れた老舗菓子店です。滋賀県近江八幡市に本社を置き、全国に40店舗以上を展開しています。「たねや」が和菓子の製造販売を始めたのは1872年。それから150年以上お菓子の道を貫いてきました。山本昌仁氏(以下「山本氏」)は、2011年にたねや4代目を継承し、2013年にたねやグループCEOに就任しました。
たねやの洋菓子への挑戦は、戦後間もない1951年から始まりました。当時のバームクーヘンは発祥地のドイツの特徴を受け継いで、日持ちさせるためパサパサして硬いものが多く、洋菓子店では人気のない商品でした。そのバームクーヘンを日本人の舌に合うように作り変えたのが、クラブハリエ(1995年に「ボン・ハリエ」から変更)です。ふんわりしっとりとした深い味わいの新しいバームクーヘンは、地元の近江八幡の人々に受け入れられ、クラブハリエは滋賀県で続々と店舗を増やしていきました。
大阪初進出となる阪神梅田本店への出店の際、「バームクーヘン専門店をやりたい」というクラブハリエの提案に、百貨店の上層部から「売れる見込みがない」と反対の声が上がりました。しかし、「1度やって売れなかったらその後は好きにしてください」とまで言い切り、1999年に「クラブハリエB-studio」をオープンしました。
「私たちのバームクーヘンは、50年近く地元の方々に愛されてきたので、大阪でもやれるという自信がありました。商売する上で大事なことは、自信のあるものだけをやることです」
その思惑通り阪神梅田本店で大ヒットし、クラブハリエのバームクーヘンは全国に広まることになりました。バームクーヘンの草分け的存在になったクラブハリエには、技術を求め多くの人が学びに訪れますが、彼らにバームクーヘンの配合を公開しているそうです。それは、クラブハリエが自分たちの利益を守ることよりも、日本の洋菓子の未来のために「お客様にお菓子を食べていただける空間を作る」ことに力を注いでいるからです。ふんわりとしたバームクーヘンが日本中で愛されている背景には、クラブハリエの揺るぎない思いがあるのです。