前学長・野風草だより

No.890

No.890 2018年12月5日(水)

農業思想家・守田志郎の復権

 我が家の庭では、白い山茶花が咲き誇り、隣ではシマサルスベリが赤く色づいています。鴨川にユリカモメが北から飛来し、京都では錦秋から初冬へと動いていきます。
 この数ヶ月、野風草だよりのアップがほとんど出来ませんでした。お読みいただいてきた皆さま、申し訳ありません。8月から11月まで、4ヶ月間、この10年ほど書き散らしてきた研究ノートや書評などを大幅に改稿して、私の単著としてまとめ直す作業に集中、忙殺されていました。一部を残して、何とか出版社に渡すことが出来ました。来年3月には出版できそうです。
 1993~99年にかけて『日本農書全集』第Ⅱ期全37巻(農文協)の編集委員をし、1996年に最初の『日本農法の水脈』(農文協 人間選書)を出し、次いで学位論文である奈良県の大和農法の研究を『日本農法史研究』(1997 農文協)、2000年に『日本農法の天道』(農文協 人間選書)と出しました。それからも続けて出版できると思っていたのに、1冊も書けぬままいたずらに19年がたっていました。研究者として情けないやら、恥ずかしい限りです。
 最近の心境を、農文協の雑誌『現代農業』2019年1月号(2018.12.5発売)の「意見異見」に「『家族農業の10年』に読みたい守田志郎」と題して、短文を書きました。以下、その内容です。

 私と守田志郎との出会いは、今から40年以上も前になる。大学院に入った1976年頃。大学近くの本屋さんで、『農業は農業である』(1971 農文協)など農家向けの本が600円くらいの安価でずらっと並んでいた。何とまあようけ書きよんなと、少々馬鹿にしていたことを思い出す。農業史をやるんだからと、『米の百年』(1966 御茶の水書房)、『二宮尊徳』(1975 朝日新聞社)、『農業にとって技術とはなにか』(1976 東洋経済新報社)の3冊を買ったのみで、現状批判の本は買わず、しかもその3冊もツン読のままであった。
 その後、大和農法の研究で学位論文を書き始めた1988年頃、田畑輪換の作付け方式や裏作のソラマメ栽培の意味を考えあぐねていた時、守田の本で「作りまわし」の言葉に出会い驚いた。また、江戸農書の研究も同時にしていたが、連作や忌地についての農書の「返す」「嫌ふ」という、これまで学者も強調していなかった表現を、守田はすでに指摘していた。
 ひょっとして、こりゃすごい学者なんじゃないやろか? 当時出版されていた著作はすべて買い求めて、再読三読するようになった。すでに守田ブームは過ぎていたが、私は守田農法論にはまっていった。気付くのが遅すぎたけど……。

 それから30年以上にわたり、守田にこだわり続けてきた。それは私が守田の著作の解説を書いた折、次の二つの言葉の意味が当時は読み解けなかったからである。1994年、「『農業にとって技術とは』という設題に向けて、農法に概念として『技術』は無いという、すれちがいの答えを用意することはできる」(『農業にとって技術とはなにか』農文協・人間選書版250ページ)。2002年、「主観的とか客観的とかいうことをぎりぎりにつめていくと、その両方がいつしか重なってくるものです。・・・部落を考えるときのたいせつな点も、つめていえばこの主観と客観の重なりあいにある」(『小農はなぜ強いか』農文協・人間選書版161ページ)。
 1970年代に活躍した守田は、今や忘れられた農業史家、思想家である。1990年代後半から2000年代にかけて復刊された農文協の人間選書で読めるだけである。農業関係者の間では、「農法」という言葉がよく使われるが、農業技術体系とほぼ同義で使われているといってよい。
 守田が農法論において問題にしたかったのは、農業とはそもそも根源的に何なのか、その理念なのであった。しかし、当時の議論において、農業の歴史や現状、地域の比較農法は語られても、守田が問いかけた土との取り組みの暮らし(生産=生活)における、人のあり方の理念(生命=「いのち」)が問題にされることはなかった。まさに「すれちがい」がおきていたのである。
 守田の言う農法とは、工業にみられる対象化した「概念としての技術」ではなく、生産=生活=生命=「いのち」を一体化させて循環させるものであった。私は守田農法論を21世紀に発展させるために考え続けて、以下のような新たな読み方、考え方を提案している。実体としての技術(風土技法と養育技術)、狭義の農法と広義の農法、農法の基層としての主客合一、作りまわしから生きまわしの循環など(詳細は、德永『日本農法の心土(仮題)』2019年3月、農文協より出版予定)。

 石牟礼道子が亡くなられるまで(2018年2月10日逝去)サポートされてきた渡辺京二は、「石牟礼道子の時空」で次のように書いている。「農事といっても、彼女はそれを労働とは捉えておりません。自然あるいは大地との対話とみなしておられる。彼女は農作業のつらさはもちろんよく知っている。だが、そのつらい労働を人間はなぜ何千年も続けてこられたのか。食うためであるというのは、およそ人間を馬鹿にした考えかたで、そんな考えかたは人間の労働を経済行為としか捉えられない憐れな近代の固定観念にすぎない。食うという行為はそのままもっと広くて深い生命活動の一環であります。石牟礼さんの作品は、農にまつわる様ざまな作業を、よろこびにみちた生命活動として描いているのです。彼女は労働を対象から決して分離させません。作業は生きたものに関わり、そのもの=対象の生命を実現する行為です。ですから彼女は農作業を描いているのではなく、人間が農作業という形で、物象つまり土や作物のゆたかな内実と関わってゆく経験を描いているのです」(『もうひとつのこの世―石牟礼道子の宇宙―』48~49ページ 2013 弦書房)。
 こうした世界が日本文化の基層には、現在まで伏流し脈々と生き続けてきたのである。これこそ、生産=生活=生命=「いのち」が一体化した守田の農法の世界そのものではないか。私が未解決のまま長年考えあぐねてきた守田の「農法に概念としての技術はない」「主観と客観の重なり合い」の問題に対する答えがここにある。

 最近、小さな農業や小農論が主張されている。守田は『小農はなぜ強いか』で、小農とは小規模という耕作面積のように捉えられがちだし、守田自身もそのように考えてきたが、「最近では、小農というのは、家族が中心になっている農業的な生活のすべてを意味しているのだと考えるようになった」(31ページ)、「農家はみな小農なのである」(32ページ)、と述べている。つまり、守田にとって小農とは、生産=生活=生命=「いのち」(安藤昌益のいう「活真」)を循環させた農法(「直耕」)を行なっている家族経営なのである。
 折しも国連が「国際家族農業年2014」を決めて啓発活動を行ない、国際的に小規模・家族農業への関心が高まっている。さらには2019年から2028年までの10年間を「家族農業の10年」とすることを決めた。
 私は江戸農書と大和農法の研究から日本農法の原理として、まわし(循環)・ならし(平準)・合わせ(和合)を導き出した。それから逸脱した1960年代以降の機械化・化学化・施設化、バイテクなど、さらには近年のAI、IoTなどのハイテク技術などの「人工農法」の成果を取捨選択しながら、「小農」、「家族経営」、内部循環・低投入・自然共生の「成熟した有機農業」の三つの問題といかに結び付けて、「農法論」として統合していくか。農家の現場において、日本列島での農耕開始以来の「天然農法」から14世紀以降の「人工農法」を経て、日本農法の三つの原理を再興した「天工農法」をどのように実現するかが、21世紀において問われている。守田農法論は、そのための最良の導き手となる。