2022年、鉄道開業150年を迎えました。この鉄道史において、車両や駅舎のデザインに変革をもたらしたとしたといわれる水戸岡氏。「水戸岡デザイン」のファンも多く、会場は2階席まで埋まっていました。
講演会で、まず水戸岡氏が紹介されたのが、自身が描いた生家のスケッチです。水戸岡氏は「岡山の吉備津神社の隣にあった生家は、藁葺き屋根に土壁の小さな家でした。父が家具職人だったので、小さな庭に当時は珍しいテーブルと椅子を並べて、食事をしました。食事といっても、飼っているヤギの乳やニワトリの卵をかけたご飯ですが。でも、本当に美味しくて、楽しくて、今でもその光景や匂いまで鮮明に覚えています。人は感動したことを切り取って思い出に残します。この感動が私のデザインの原点になっています」と当時を振り返ります。
水戸岡氏はもう一つ、仕事の原点があるといいます。「高校卒業後、入社した大阪市内のデザイン事務所での日々です。絵は得意でしたが、事務所ではデザイン画やパース画を描く基礎をたたき込まれました。これが今もずっと役立っています」
さらに、事務所の社長から海外遊学をアドバイスされ、イタリア・ミラノで仕事をすることに。欧州へ鉄道旅行にも出かけ、クラシカルな車両、美しい街並みといった文化や歴史を肌で感じ、目に焼き付けたそうです。「人と出会い、人が行き先を決め、生涯の仕事をもたらしてくれました。だから、私は人のために働く。このスタンスはずっと変わりません」と語ります。
遊学から帰国した水戸岡氏はドーンデザイン研究所を開設。不動産や工業製品のパース画や、百科事典のイラストなどの仕事を手がけるようになります。その時の鳥や蝶のイラストがスライドに映されましたが、写真と見まがうほど精密で色鮮やかなもの。「本当に手描きなの?」と身を乗り出す聴講者もいたほどでした。
鉄道車両にはあり得ない素材が利用者の心をキャッチ
水戸岡氏が初めて鉄道車両のデザインを手がけたのは1988年。JR九州の「アクアプレス」です。ボロボロだった車両を大胆な白色と大きなロゴマークのデザインで甦らせ、高く評価されました。これを機に、JR九州が「D&S(デザイン&ストーリー)列車」と称す観光列車のほぼすべてのデザインを担当。木材や織物、ガラス細工を内装に取り入れたり、本物のバースタンドを設けたり、常識を覆す「美しく、楽しく、おもしろい」デザインは、水戸岡氏の真骨頂であり、多くの人びとを喜ばせています。
「私は、シートも照明も細部に至るまですべてオリジナルでデザインして制作します。デザイン画では織り柄の一つひとつまで描きます。ただ、プレゼン時は、イメージではなく、言語での共通認識が重要なので、デザイン画を披露しつつ、『活字』でコンセプトを語ります」と水戸岡氏。ただ、デザインの採用はひと筋縄にいかないこともあったといいます。
九州新幹線「つばめ」をデザインした際は、先頭車両に大きな目のようなライトをつけることを提案しますが、整備や交換が大変と反対にあいます。「でも、私は必ずヒットするようにデザインし、もしヒットしなければ責任を取る覚悟です」と説得。言葉通り「つばめ」の大きな目は話題となり、今も写真を撮る子どもたちで後を絶ちません。講演会冒頭で水戸岡氏が語った「子どもの頃の感動が原点」という思いも反対を覆すパワーになったのでしょう。
列車は作品ではない。利用者、公共のためのデザイン
そんな水戸岡氏の最高傑作といえるのがJR九州のクルーズトレイン「ななつ星in九州」です。まさに「走る高級ホテル」で、この列車のありとあらゆるものが水戸岡氏のオリジナル。描いたデザイン画は1万枚を優に超えるそうです。
「今はコンピュータで何でもできますが、それなら誰が作っても同じものしかできません。手間暇を惜しまず、体と心、知恵とセンスから生まれたものだから人を喜ばすことができます。感動はかけた情熱に比例します」
誰にもできないもの、どこにもないものに価値があると水戸岡氏はいいます。しかし一方で、「私はアーティストではなく、デザイナーです」と断言します。
「デザインした列車は、自己表現でも作品でもありません。列車は利用者のためのもの、そして公共のためのものです」水戸岡氏の仕事は、今回の講演のテーマでもある「公共」のためにあるのだと強く語ります。
また、鉄道ほど公共性の高いものはない。だからこそ、地元住民が誇りに思う、守りたくなるものであることも重要なのだと、水戸岡氏はいいます。例えば、「ななつ星in九州」は、障子に福岡県大川市の産業「大川組子」を活用するなど、地元の伝統や文化、人びとの技術、情熱もデザインに取り入れており、これもまた水戸岡氏の考えがあってのことです。
鉄道以外に、バスや公園といった公共物や施設・空間のデザインも手がける水戸岡氏。講演の最後にこう語りました。
「これまでの日本はお金のソロバンばかり弾いてきて、心の豊かさ、楽しさにソロバンを弾いてきませんでした。ただ、今、時代や人びとの価値が、大きいより小さい、強いより優しい、速いより遅いに変化しています。私はこれからも『経済は文化の僕(しもべ)である。デザイナーは社会の僕である』という仕事の哲学を貫き、感動と楽しさの詰まったデザインを行っていきます」