もう一つは、「モノがある」ことです。
これはよく聞く話で「モノ(=製品)があるっていいよね」というやつです。けれど、この感覚はなんなのでしょうか?
少しプライベートの話になりますが、私は趣味が多い方で、卓球をやります。使うラケットはペンホルダーというもので、これはプロが好むシェークハンドラケットの合板構成とは異なり、10mmの分厚い板きれ一枚の作りをしています。私のものでも樹齢百年を超える木曽の檜が使われていて、繊維が真っ直ぐに通った箇所だけが切り出されています。丁寧にプレスされた表面を眺めると、ギュッと詰まった茶色の木目が非常に綺麗で、心身が疲れた時などにはおもむろに取り出して、妻に隠れて眺めたりしています。
先に書いたように、私は人文科学系の人間ですから、材料物性だとか機械機構だとかは明るくなく、せいぜい仕事で使うものを都度調べる程度です。
けれどもいつからか、モノを見るとモノの特徴と背景を考えるようになりました。その特徴や機能を得るために、どんな材料、機構、設計、加工工程、装置、数量で作るのか。そうするために今は何が足りていないのか。どういう姿になれば良いのか。仕事もそんな感じで、私もお客様もモノの特徴を見て、設計や工程を話します。
ところで、いまから約300年前にプロイセン王国で生まれたイマヌエル・カントという人がいました。人間はどうやって物事を正しく知り、理解できるのかということを考える「認識論」の大家です。
曰く、人は対象の真の姿「物自体」を直接に認識できず、あくまで人の感覚からなる主観の枠組みを通した「現象」としてのみ捉えられるそうです。
カントの認識論の研究は一人の人間(主観)の意識のなかで、どのように客観的知識が成立するかが主題ですが、製造業におけるコミュニケーションは、この認識論の応用と考えると面白いです。
現状の不完全な「現象」の物理的な特徴から、背景にある因果関係(設計、工程など)を思考によって逆算し、その不足分を補正することで、皆が共有可能な客観的なあるべき姿を作ることで相互理解が成立します。ミソなのは、「対象が人の認識を規定する」のではなく、「人の認識形式が対象を構成する」点です。製造業はモノを作るのが仕事なわけですから、「エンジニアリングの論理形式によって、お客様とモノの共通認識を構成」するという認識論が仕事の前提になっている業種と言えます。
つまり私(や我々)が憑り付かれている「モノがある」というシンプルな魅力の正体は「人間同士の主観と客観に基づく相互理解を可能にする認識形式の基盤があること」です。
モノがあるって、いいですね。(長かった)